2000年の歴史を越えて

橋で結ばれたJ4(左)とサン・ジャン要塞(右)
橋で結ばれたJ4(左)とサン・ジャン要塞(右)

フランス最古の都市マルセイユは人口約90万人の港町。ギリシャの植民地だったフォカイア(現トルコのフォチャ)から地中海を航海し、やってきたギリシャ人が紀元前6世紀に町の基礎を築いたのが始まりです。マッサリア(マルセイユの古名)は優れた航海術を誇り、海上交易で栄えます。やがて小高い丘(現ル・パニエ地区)にギリシャ都市が誕生し、城壁が築かれます。その後、ローマ帝国の支配、キリスト教の浸透、十字軍遠征、1481年フランスに併合と、時は移り変わります。にもかかわらず、マルセイユの町は16世紀までギリシャ人が築いた城壁に縁取られていました。

サン・ジャン要塞からの眺め
サン・ジャン要塞からの眺め

このような長い歴史に刻まれたル・パニエ地区(旧港の西側)は急な坂道や細い路地を見下ろす建物が所狭しと建っています。観光スポットとして注目されながらも、いたって庶民的な雰囲気が残っています。

マルセイユの旧港への入口は幅わずか100m。その両側には要塞が築かれています。その一つサン・ジャン要塞は高い石壁で囲まれ、方形の塔(15世紀建造)が立ち、まさに強固そのものの外観です。入港する船舶を監視し、港を外敵艦隊から守った歴史があります。要塞としての守りを固めるために17世紀に壕(ほり)が掘られます。そこに1845年水路*が通り、サン・ジャン要塞はル・パニエ地区から切り離され、孤立してしまいます。

ミュセムの内部通路
ミュセムの内部通路

2013年はマルセイユの旧港が変貌を遂げた年です。欧州の文化首都として、様々なイベントが繰り広げられました。サン・ジャン要塞も数年の歳月をかけて修復工事が行われ、博物館として一般公開されるようになりました。その横には近代建築の粋を極めたJ4が完成しました。コンクリートを鋳型で固めた、魚網のようなカバーが南面と東面、およびトップを覆い、強い日差しを和らげています。遠くから見ると、まるで黒いベールに包まれたガラス張りの箱のようです。J4はLa garérie de la Méditerranéeと称する博物館で、地中海を軸として、西洋文明を石器時代から近代まで遡るという、画期的な展示内容です。

サン・ジャン要塞は中世期から第二次大戦まで続いた要塞としての役目を終えました。超モダン建築のJ4とともに、ミュセムMuCEM**(欧州地中海文明博物館)として新たな役割を授かりました。さらに、ル・パニエ地区ともう一本の橋で結ばれ、文化と暮らしの接点となったサン・ジャン要塞です。

 

*1938年埋め立てられ現道路となる。

**Musée des civilisations de l'Europe & de la Méditerranéeの略

ル・パニエ地区

ファナルの塔(17世紀建造)

マジョール大聖堂(19世紀建造)